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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)10947号 判決 1973年5月23日

原告

伊東満子

右訴訟代理人

上田誠吉

外四名

被告

日本放送協会

右代表者会長

前田義徳

右訴訟代理人

定塚道雄

外三名

主文

一  被告は原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和四四年一〇月二三日から右完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の、その一を被告の各負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

(原告)

1  被告は原告に対し五〇〇万円及びこれに対する昭和四四年一〇月二三日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

(被告)

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二  当事者の主張

(原告の請求原因)

1  原告(大正七年三月五日生)は、昭和九年三月中野実践女学校を卒業し、同一三年から一四年にかけて日本経理女学院本科、日本タイプライター邦文タイピスト養成所を卒業し、同一六年六月二五日被告の前身である社団法人日本放送協会に雇用され、同二五年六月被告設立に伴いその地位を引継がれ、現にその職員として勤務している。

2  原告は、被告(以下右社団法人当時をも含め被告と称する。)に採用されて以来、昭和三一年二月まで一四年八か月の長期にわたり、和文タイピストとして苛酷な労働条件のもとに過重な労働に従事した。

(一) 当初の二年二か月は業務局業務課等において事務用(非報道用)タイプに従事した後、昭和一八年九月頃からは、報道部タイピストとしてもつぱらニュース原稿のタイプライティングを行つた。

右報道用タイプは、事務用タイプに比して格段の速さと正確さが要求されていたが、当時事務量が増大するにもかかわらず、人手不足のために仕事は多忙を極めた。

勤務時間は一週三日づつ日勤(午前八時から午後五時まで)、夜勤(午後三時から一〇時まで)の交代勤務であるうえ、日勤、夜勤とも労働時間が延長されることが多く、月二回は休日出勤をさせられ、休暇をとることは事実上ほとんど不可能であつた。

また当時タイプライターには、縦打ち(四台)と縦横打ち(八台ないし一二台)があつたが、原告は重い縦横打ちを使用させられ、その労働は著しく過重であつたが、空襲と戦災の続く間も、疎開、戦災による人手不足のためタイピストは職を辞することも許されず、原告はひたすら報道原稿を打ち続けた。

(二) 戦後も引き続き報道部において右同様ニュース原稿のタイプ仕事を続けたのであるが、昭和二二年頃から、時折腕・肩・手に痛み、しびれを感じるようになり、しばしば被告に対して職種変更を申し出たが、タイピストが少いことを理由に被告に容られず、やむなく昭和三一年二月までタイピストの仕事に従事し、同月二〇日からテレビ局教養部のプロデューサーの業務に転じた。

3  原告は、昭和二二年頃から腕・肩付近に異常を感じ始めていたところ、昭和三四年一二月三一日肩甲部筋硬化・頸椎症候群を発病し、その後虎の門病院・国立東京第一病院や被告の医務室に通い治療を受けたにもかかわらず症状は悪化し、昭和三七年三月一二日伊東国立温泉病院に入院し、爾後、同愛記念病院・厚生中央病院に転入院し、翌三八年七月四日厚生中央病院を退院するまで約一年四か月入院して治療を受けたが、治療に至らず、現在もその症状に苦しんでおり、将来においても治癒の見込はない。

4  原告の右疾病は、一四年八か月の長期にわたり被告のタイピスト作業に従事してきたことに起因するものである。

(一) このことは、原告がタイプ業務に相当期間継続して従事してきたこと及びその症状が、邦文タイピスト・キーパンチャー等の事務労働者の職業病である「頸肩腕症候群」の典型的な症状を呈していることからみて明らかである。

(二) 被告もまた昭和四四年八月三〇日、日本放送労働組合管理地域系列(以下単に労組という。)との団体交渉において、原告の疾病の業務起因性を否定できないことを認め、同年九月三日以来業務上災害として取り扱つている。

5  被告は、労働基準法四二条、四三条等及び雇用契約にもとづき、その被傭者の生命・身体・健康を保持すべき義務を負つているのであるから、原告を含むタイピストについては腱鞘炎等の右職業から発生し易い疾病にかからぬよう労働条件の整備・職場環境の改善・定期健康診断を行い、職業病の予防・早期発見に努めるとともに、申告・診断によりこれを発見したときは、配置転換・早期治療を適切に行い、症状の悪化を防ぎ、その健康回復に必要な措置を講ずる義務があるというべきである。

しかるに、被告は、原告の右疾病の発生を予防できなかつたばかりか、昭和二二年以来、原告が痛みを訴えて配置転換を申し出たにもかかわらず、これを拒否し、このため原告の症状は更に悪化した。

右のように原告の疾病は、被告が自己の被傭者たる原告の安全、健康保護注意義務を怠つたことによるものであるから、原告が右疾病によつて蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

6  原告は、発病以来現在まで約一三年に及ぶ「頸肩腕症候群」による肉体的苦痛を味わい、その原因が永年の被告におけるタイプ作業にあるにもかかわらず、終始今日に至るまで被告から冷遇されたことにより、多大の精神的苦痛を蒙つた。

よつて、原告は、右の慰藉料として五〇〇万円及びこれに対する昭和四四年一〇月二三日(訴状送達の翌日)から民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告の答弁)

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の冒頭記載のうち、原告がその主張の期間被告のタイプ業務に従事したことは認め、その余は否認する。

(一) 同(一)の第一段の事実は認める。

同(一)の第二段の事実中の戦時下事務量が増大し多忙を極めたとの主張は否認する。

同(一)の第三段の事実は否認する。一週間のうち四日は日勤(午前九時から午後五時まで)、二日は夜勤(午後三時から一〇時まで)で、日勤・夜勤とも残業はほとんどさせなかつたし、またそれほどの業務量はなかつた。もちろん戦時中といえども週一日の休暇は確保されていた。

同(一)の第四段の事実中当時、タイプライターに、原告主張の二種類があつたことは認めるが、その余は否認する。報道用タイプとしては、もつぱら軽くてスピードのある縦打ちを使用していたし、機種の選定はタイピストの自由であつた。

また被告は、原告から退職の意図あることを聞いたことは一度もない。

(二) 同(二)の事実中、昭和三一年二月まで原告がタイプ作業に従事し、同月二〇日プロデューサーに転じたことは認め、その余は否認する。

3  同3の事実中、原告の発病の時期及びそれまでの経過並びに初期の治療機関等については不知。

原告が昭和三七年三月から翌三八年七月四日までの約一年四か月間、原告主張の各病院に入院・転入院をしたことは認めるが、その治療は、いわゆる頸肩腕症候群に関するもののみではなく、むしろ原告の持病である喘息・痔等を主要な対象としていた。

4  同4の事実中、原告が一四年八か月間タイプ作業に従事していたことは認めるが、疾病の業務起因性は否認する。

(一) 原告の症状は業務外の疾患に起因している。

(二) 被告が原告の疾病について業務起因性を認めたとの主張は否認する。

被告は、労組との間で、業務外起因を前提としつつも、職員管理上の見地から、原告の疾病治療のため主治医を定め、恩恵的な経済的補填をすることに合意しただけである。

5  同5の事実は争う。

被告は、原告をも含め全職員について年二回(昭和二八年以前は年一回)の定期健康診断を行い、疾病の早期発見に努める一方、昭和一七年から医務室(同一八年診療所となる)を設け、早期治療にあたるとともに、全職員を管理医の管理下におき、個人の健康度をそれぞれ把握し、健康度に応じた勤務上の配慮・配置転換など遺漏なきを期しており、いやしくも疾病を増悪させるようなことは皆無である。

6  同6の事実は否認する。

被告は、原告の自覚症状の訴えをいれて勤務の軽減を図り、昭和三九年二月から週二回の早退を認め、同四〇年からは連日早退を許可するとともに、与える仕事にも考慮を払い、原告には、タイムカードにゴム印を押す作業しか課していない。

(被告の主張)

1  原告の疾病は、次の理由により、業務外の頸椎骨軟骨症・喘息・内臓疾患等の関連痛に起因している。

(一) 原告は、昭和四一年四月渡辺病院で頸椎骨軟骨症と診断された(昭和三七、八年には病名を付しえぬほどの軽微なレントゲン所見しかない。)が、その後も老化による頸椎骨増殖のため、昭和四三年九月二八日撮影のレントゲン写真では、右上肢の疼痛、しびれにつながるほどの背椎の変形を示している。

(二) また原告が昭和二六年以来苦しんでいる喘息が肩こり等筋肉に影響を及ぼすことは周知のとおりであり、丈夫でない胃腸の関連痛等原告の素因が原因となつていると考えられる。

(三) 更に食糧難時代の買出しや、昭和二五年から通算四年間の大学通学と職場とのかけもちによる無理が老化を早め、昭和三五、六年頃から既に義歯を入れはじめ、昭和四〇年には多数の義歯のほか眼鏡を要するようになるなど老化現象が見られることを考慮すべきである。

(四) 一方、被告が原告から頸肩腕に関する自覚的訴えをしばしば受けるようになつたのは、昭和三六年七月同人を加入局管理部に配転後しばらくしてからであり、他覚的所見については、その後の入院期間中においても認められていない。

(五) また鈍痛の原因と推定される肩から胸にかけての筋硬化・筋萎縮・筋隆起等の発病は、昭和四〇年五月以前にはなく、昭和四一年頃と考えられる。また副脱臼の事実は、なかつたと推定される。

(六) 以上の事実から、軽度の疼痛は昭和三七年頃、顕著なそれは昭和四一年頃から自覚されたものであろうと推定できるとともに、前記症状がいずれも原告がタイプ業務を離れてから一〇年経過後に発生していることから、右疾病は、職業性疾患とは無関係というべきである。

2  昭和四四年一〇月二九日付「キーパンチャー等手指作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」の労働基準局長通達(基発七二三号)は、頸肩腕症候群と同様の症状を呈していても、原因疾病が別にあるいわゆる広義の頸肩腕症候群は原則として除外すべきであるとし、その原因疾患例として(1)に(イ)頸部脊椎骨軟骨症、(ロ)頸部椎間板ヘルニア、(5)に関連痛をあげているが、更に療養・職場転換などを行つて相当期間を経ても、症状が消退せず、あるいは更に悪化するようなときは、他の疾病ではないかを検討するため、鑑別診断が必要だとしているが、本件も右に該るというべきである。

(原告の反論)

1  被告の主張1を争う。その(一)ないし(六)に対応させて以下(一)ないし(六)のとおり順次反論する。

(一) 原告の昭和三四年末の症状悪化以後昭和三七、八年までの三、四年間、頸椎に顕著な変化のなかつたことは、被告主張の疾患が原告の症状と無関係なことを示すものであるし、被告は頸椎骨の異常部位と頸腕等の神経症状の厳密な解剖学的対応関係を論証していない。

更に頸椎骨軟骨症そのものが重労働や長期間の一定した労働によつて発生することが多いことからみて、頸椎骨軟骨症が業務と関係がないとはいえない。

(二) 原告の喘息発作が昭和二六年に始まつたことは認める。しかし、喘息が筋肉に影響するのと同様に、筋肉の状態もまた喘息の発病に影響することは医学的にも認められており、原告の右発作も、それまでの約一〇年間のタイプ業務と密接に関連している。

(三) 原告が昭和四〇年頃から眼鏡を使用し始めたこと、歯が悪くなつたことは認める。

しかし、通算約一五年にわたるタイプ業務こそが老化の最大原因であり、それが業務上疾病を促進することがあり得ても、その逆でないことは、原告の症状が通常人の老化現象などとは比べられないほど重症のものであることから明らかである。

(四) 原告は、昭和二二年頃から時折肩腕の凝り・痛み等を自覚し、職種変更を申し出ており、昭和三四年末以来今日まで絶えずその苦痛に悩まされている。

(五) 原告の筋硬化等の症状については、昭和四〇年五月まで、単に診断書に記載がないだけであつて、筋肉の状態が良好であるとか硬化も萎縮もないとか診断されているわけではない。

(六) 疾病の原因状態と病状の進行が時間的にずれる職業性疾患は多数あり、本件もその一例である。

2  被告主張の通達の存在は認める。しかし原告の症状所見の全経過を明快に説明できる純然たる業務外疾患の存在が認められない限り、原告の頸肩腕・背腰部の症状は業務上疾病に起因するものというべきである。

なお、右通達は、非業務的原因の疾患による可能性を「完全に除外することは医学上困難な場合も少くないので、作業内容・当該労働者の肉体的条件及び作業従事期間からみて、当該疾患が医学上の業務に起因するものとして納得し得るもの」であれば、業務上のものとして扱うこととしていることに留意すべきである。

第三  証拠<略>

理由

一原告の経歴・雇用関係(請求原因1の事実)

当事者間に争いがない。

二原告の作業歴・労働条件等(請求原因2の事実)

(一)  原告が、昭和一五年六月二五日被告に雇用されて以来、当初の二年二か月は、業務局業務課等において事務用タイプの仕事をし、その後の昭和一八年九月から同三一年二月二〇日までは、報道部タイピストとしてもつぱらニュース原稿のタイプ作業に従事し、右同日テレビ・プロデューサーの業務に転じたことは、当事者間に争いがない。

(二)  右報道部タイピスト時代の労働条件等

<証拠>によると、次の事実が認められる。

(1)  原告が右のとおり被告報道部に在勤した間の戦時下において、右報道部タイピストは、一二名前後が、一週日勤(午前九時から午後五時まで)週三日、夜勤(午後三時から一〇時まで)三日、休暇一日の二交替勤務をとり、デスクから廻つてくるニュース及びその解説の放送原稿をタイプしていたが、例外的な場合を除き、日勤・夜勤とも残業をしたり、週休日に出勤するようなことはなく、夜勤のときは、仕事がなければ適当に退出することも稀ではなかつたこと、

(2)  戦争の激化に伴い、退職したり、罹災・疎開・空襲等のため欠勤するタイピストもなくはなかつたが、戦況が不利となつてからはニュース量が減少しつつあつたうえ、もともとニュース原稿はタイプしなければ放送できないものではなく、タイプするのは時間的余裕のあるもの、再放送するものが主であつたので、著しく入手不足になるようなことはなく、従つてまた被告がタイピストの退職の申出を特におさえたりしたことはなかつたこと、

(3)  当時報道部のタイプライターには、軽くてスピードをあげ易い縦打ちと、大型でキーが重く報道用タイプに適しない新式の縦横打ちの二種類があつたが(右二機種が存したことは、当事者間に争いがない。)、前者の数量が不足していたため、原告は事実上後者を使用させれられていたこと、

(4)  原告は、前記のとおり戦後も引き続き報道部においてタイプライターを打ち続けていたのであるが、昭和二六年には職階制が導入される気運が生じたので、他の職種に転じるには大学卒業の資格が必要と考え、同年四月昭和女子短期大学(昼間部)に入学し、同二八年三月卒業、更にその後法政大学文学部(昼間部)三年に学部入学し、同三一年九月卒業したが、右通学中の五年間はほとんど夜勤をして昼間大学に通つていたこと、

以上の事実が認められ、<反証排斥・略>

(三)  プロデューサー時代の労働条件等

前掲甲第一四号証及び弁論の全趣旨によると、原告は、前記のとおりプロデェーサーに転じて後、当初の四か月程、プロデューサーの養成を受け、その後「たずね人」や夜の最終番組の「天気予報」を担当したが、勤務時間は不規則で週に二、三度も朝一〇時から夜一二時まで勤務をし、残業時間も月間数十時間に及ぶこともあり、このような状態は昭和三六年七月二一日加入局管理部に転ずるまで継続していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

三原告の症状・治療経過(請求原因3の事実)

<証拠>並びに原告本人尋問の結果によると、次の事実が認められる。

(1)  原告は、昭和三四年一二月三一日突然首が右を向いたまま回らなくなり、その後首の痛みが肩・腕・背中まで広がつたため同三五年勤めながらマッサージ師・東京国立第一病院(頸椎C4とC5の変形と診断)・虎の門病院などに通い、マッサージ・超短波・赤外線・E・K(鍼灸)法などの治療を受け、やがて首の運動は可能となつたが、痛みはとれなかつたこと、

(2)  昭和三七年三月一二日から同年七月一三日まで頸部・肩胛部の運動障害(他に喘息発作・蕁麻疹を含む。)を主訴として国立伊東温泉病院に入院し、マッサージ・温浴・赤外線・牽引等の治療を受け、次いで、同月一七日から翌八月八日まで同愛記念病院に再入院し、右肩胛痛、頸部・側胸部痛、腰痛、肩・腕の鈍痛を主訴とし治療を受けたこと(右各病院の入退院の日時・期間については当事者間に争いがない。)、

(3)  入院中の同年八月一日、東大病院整形外科で「第四、第五椎体間関節形成、第六、第七頸椎鈎突起、第五腰椎半仙椎骨化(手に症状なく、頸椎後屈で右腕に痛み放散)に原因する難治性の頸腕神経痛」との診断を受け、従来の治療経過や余病との関係で、同月八日厚生中央病院に転入院したこと、

(4)  厚生中央病院では、第五、第六頸椎間孔狭小に原因があると診断し、難治性であるが軽症と考えていたが、咳嗽、蕁麻疹、喘息、歯痛等の余病がしばしば発生し、加えて主訴がなくならないため、ずるずると入院期間を延長し、牽引からマニブラチオン、パンツェル・コルセット固定術と治療を発展させていつたが、右固定術により若干症状が減少したので同年七月四日退院させたこと、

(5)  原告は、昭和三八年八月五日復職後も肩・腰の痛みを訴え、同三九年五月頃から密蜂療法・西式健康法等の民間療法を試みたが、症状は消退せず、同四〇年から同四二年にかけても入院(二か月)・通院治療や整体指圧療法等を受けたが、症状は余り変らなかつたこと、

(6)  そこで、原告は、労組を通じて被告に業務上の災害補償を求めることとし、昭和四二年八月鉄砲州診療所で、「頸腕症候群による右頸部・右肩部・上背部筋隆起、右上肢知覚鈍麻、交感神経症状あり」、同年九月二〇日東大病院物療内科で「肩甲部筋硬化、頸椎症候群(ただし、診断者である医師吉田利男は証人尋問において頸肩腕症候群と訂正した。)の病名の下に、(ア)右菱形筋及び肩甲挙筋の硬化圧痛・異常収縮が著明、その周囲の僧帽筋、棘上・棘下筋、大円筋、大胸筋の硬化、(イ)第五―第六、第六―第七頸椎間の椎間狭小、椎間腔変形狭小」の各診断を受けたこと、

(7)  原告は、昭和四一年四月渡辺病院で、頸椎骨軟骨症の診断を受けていたのであるが、昭和四三年九月二八日撮影のレントゲンフイルムにより、厚生中央病院入院時のそれと比較して、第五―第六頸椎間板狭小並びに第六頸椎に急速な骨棘形成が進行したものと診断されていたこと(右椎間に狭小があることは当事者間に争いがない。)、

(8)  原告には、現在でも、頸痛、右腋下後壁圧痛、右首・僧帽筋・菱形筋・右大円筋・棘下筋の緊張及び圧痛、右肩甲骨挙上、目が眩しい等の症状があるため、鍼灸・超音波・サウナ等の温熱療法・身体矯正法をとつているが、治療の効果は一時的で、完治の見込みはないこと

以上の事実が認められ、<反証排斥・略>。

なお<証拠>中には、原告は、昭和二二年頃から腕・肩が痛み始め、同二三年、同二四・五年の二回にわたり、これを上司に訴えて配置転換を申出た旨の部分が存するけれども、右記載及び供述の各部分は、いずれも、これらの話を原告が同僚等に洩らした形跡が窺われないことに照らし、にわかに措信し難い。

四業務起因性(請求原因4の事実)

(一)  広義及び狭義の頸肩腕症候群

<証拠>によると、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

昭和三〇年頃からキーパンチャー等を中心に腱・腱鞘の障害が発生し、労働者では、昭和三九年九月一六日「キーパンチャー等の手指を中心とした疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(基発第一〇八五号)を出して職業病認定の問題を処理していたのであるが、その後事務の、機械化・単純化・合理化が進むにつれて他の職種にも同種の障害が拡大し、しかもその症状も手だけでなく頸肩にも及ぶことが次第に明らかとなり、昭和四〇年位からこれを総称して「頸肩腕症候群」と呼ぶようになつたが、産業医学・労働衛生工学等が未発達であるため、右疾病の病理・診断・治療方法等は未だ十分に解明されるには至つていない。

このため「頸肩腕症候群」の業務起因性の判断は容易でないが、労働省労働基準局長は、昭和四四年一〇月二九日付通達(基発第七二三号)「キーパンチャー等手指作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」を発し、これをもつて、その認定基準としたことが認められる。

しかして右通達(乙第一四号証)によれば、『頸肩腕症候群というのは、頸部・上腕・前腕・手・指に、慢性の疼痛・しびれ感・だるい感じ・肩こり・知覚鈍麻・知覚過敏・異常知覚・手指の冷感・撓骨動脈拍の変化等のうち、疼痛に加うるに、他の一つ又は数種の症状を合併し、それらの症状が頸部・項部・肩・上肢のみに限局して存在するものに対して、便宜的に与えられた名称である。したがつて、頸肩腕症候群は、発痛原因となるべき疾患の明らかな広義の頸肩腕症候群と、それの詳らかでない狭義の頸肩腕症候群に区別されるので、認定にあたつては、頸肩腕症候群の原因疾患(外傷を除く。)と考えられる頸部脊椎骨軟骨症・斜角筋症候群・胃腸等の内臓疾患に起因する関連痛等でないかをまず検討すべきである。そのうえで、原因疾患の詳らかでない狭義の頸肩腕症候群について、手指を過度に使用する業務に相当期間従事した労働者であつて、その業務量が他と比較し過重又は大きな波がある場合等において頸部、肩及び当該上肢に手指作業に起因する自覚的症状に加え明らかに医学的に他覚的所見が認められるものを「業務上」として取扱うべきである。しかし、右のような原因的疾患を完全に除外することは医学上困難な場合も少なくないので、作業内容、労働者の肉体的条件及び作業従事期間等からみて、当該疾患の症状発生が医学常識上業務に起因するものとして納得しうるものであり、かつ医学上療養を必要とする場合のみ、「業務上」として取扱うこと』としていることが認められる。

しかして、右通達のうち、業務量の過重又は大きな変動を要件とする部分は、比較の基準となる業務量及び体力をどのレベルに置くかに問題がなくはないと考えられるが、右の点は作業量と体力とのアンバランスから頸肩腕症候群が発生したと認められれば、それをもつて足りるとの趣旨と解し、右通達の考え方に従つて、以下順次原告の疾病の業務起因性を判断することとする。

(二)  そこでまず原告の症状が、頸椎変形に起因していると被告の主張について判断する。

証人両角森雄(厚生中央病院入院時、整形外科主治医)、同津山直一(東大病院整形外科教授)は、いずれも、原告の症状は、頸椎変形による神経圧迫を原因とする広義の頸肩腕症候群に属し、タイプ作業とは全く無関係である旨証言している。

しかして、<証拠>及び前叙三認定事実によると、次の諸事実が認められる。すなわち、

(1)  原告の前記昭和三四年末の突然の発症は、急性疼痛性斜頸というべきもので、筋肉・関節に起因するものであるならば、通常三、四日で治るものが、その後の治療にもかかわらず軽快しなかつたことは、その頃頸椎椎間板に病変が生じたことを推定させるが、その頃原告は東京国立第一病院で、第四、第五頸椎の変形と診断されていること、

(2)  右両整形外科医は、昭和三七年八月厚生中央病院入院時の主訴は、前記の第五、第六椎間板狭小及び第六頸椎の骨棘形成に起因する神経圧迫症状として、また現在の肩甲挙筋・菱形筋・僧帽筋等の硬結は、その後に右変形が急速に進行したため、頸椎間から出て肩・首を動かす筋肉へ行く神経が圧迫されて、頸の運動が制約され頸から肩に凝りが生じたもの(更に進むと、手に行く神経が刺戟され、手の痺れ、疼痛から手の筋力減退・筋萎縮・知覚障害等まで悪化する。)として、それぞれ説明することができるとしていること、

(3)  しかし、臨床外科においては、頸椎変形症(頸椎骨軟骨症)によつて右症状が出現し、その難治性のゆえに入院中に試みられた諸種の保存的療法では軽快せず、不可抗的に進行することが、一般的な定説となつていること、

以上の諸事実が認められ(右認定に反する証拠はない。)、更に後記吉田利男証人も、原告の症状につき頸椎との関係を否定せずタイプ作業によつて頸椎変形自体が発生することは考えられないとしている(証人津山直一もかかる発生を否定する。)ことや、その他タイプ作業から転換後、発病までの期間等を考慮すると、原告の疾病は、主として前示の頸椎変形(頸椎骨軟骨症)に起因しているものと断ぜざるを得ない。

証人吉田利男、同中村美治は、頸椎変形に起因しているならば、手先に圧痛・知覚障害等の主要な神経症状が出るはずであるが、原告にはその症状が欠けているとして、頸椎起因説に疑問を呈する。しかし、右の疑問は、証人津山直一の証言により、頸椎変形症の初期の段階では頸椎間から出て手に行く神経に刺戟症状が生じることは少ないこと、従つて、手に症状のないことは必ずしも頸椎変形に起因するとする前記見解の妨げとならないと認められることに照らすと、右の判断を覆すに十分ではないと考えられる。

なお、原告本人の供述中には、両角医師は、原告が厚生中央病院を退院するとき「原告は職業病だ」と言つていた旨の部分が存するけれども、右供述部分は、証人両角森雄の証言に照らし信用できない。

(三)  しからば、原告の症状は、すべて原因的疾患(頸椎変形症)に起因せしめることができるであろうか。

これに反する次のような証拠が存在する。すなわち、

成立に争いのない甲第八号証の一(労働科学研究所の小山内博の診断回答書)、同号証の二(杉並組合病院の川上武医師の診断意見書)、証人中村美治の証言により成立が認められる甲第一号証の一(同証人の診断書)、作成の方式・趣旨により成立が認められる同号証の四(鉄砲州診療所木下繁太朗の診断書)、前顕の同号証の三各記載の診断所見及び証人中村美治(診断時北池袋診療所医師)、同吉田利男(東大病院物療内科医師)の各証言には、それぞれ原告の症状は狭義の頸肩腕症候群であり、原告のタイプ作業経歴等からみて、業務起因性は、明らかないし否定できないとされていることが認められる。

そこで、右所見を検討するに、最も詳細な調人吉田利男の証言によれば「原告の肩甲部及びその周辺の筋の硬化・異常収縮は、これらの筋に対して長期間継続的に負荷がかかり、筋が持続的に収縮したため代謝不良となつて筋障害が生じたものと推定される。頸肩腕の筋肉、ことに頸の筋肉の障害は、腕・脳・交感神経節に影響して血液の流れを阻害し、更に筋の代謝を増悪させるという悪循環を形成し、これに自律神経の状態、精神状態まで加わつて発病準備状態を完成するので、筋に対する負荷が消滅しても些細な原因(たとえば寒冷)でも症状が出ることがあるから、配置転換をして相当期間経過後に症状が現れる可能性も考えられ、業務起因性を一応推定できる。」というのであり、前顕甲第八号証の一及び証人中村美治も、担務変更後の発病について長年のタイプ作業による筋の(慢性的疲労)状態が、発病の準備状態ないし土台を形成したと考えられるとし、後者は更に右のような見解は、特異なものではなく、通常の考えと解してよいと証言している。

しかして、<証拠>を総合すると、次の諸事実が認められる。すなわち、

(1)  頸肩腕症候群の病理機構については、疲労に関する臨床医学が未発達であるため、生理学的にも組織学的にも十分な検討がなされていないが、右吉田見解は、多少の相違はあるにせよ、事務機械作業者ないし事務作業者の職業病を専門的に研究している医師・学者が、多く採用している見解であること、

(2)  和文タイプ作業は、欧文タイプ作業に比べて、手指を余り使用せず(しかも作業速度が遅い)、静止した姿勢で腕を保持するため肩・頸・背に負荷がかかり、その筋肉(菱形筋・肩甲挙筋・僧帽筋等)に障害が起り易く、手指に症状の出ることは少ないこと、

(3)  また和文タイピストの頸肩腕症候群は、キーパンチャーに比べ、高年・長期間就業後に発病する傾向にあり、東大物療内科の頸肩腕症候群の患者統計(ただし事務作業者全般についての患者総数二二六名中)では、三〇才以上が一〇%を占めており、右患者の治癒の可能性は、一般的にみて、完全治癒・原職復帰が一五〜二〇%、不完全治癒・担務変更が六〇〜七〇%、要入通院治療が残余となるが、その中には休職し治療を続けて数年になる人もいること、

(4)  原告のように頸部の筋に緊張硬化のあるときは、その治療は困難であり、症状は長年月に亘つて持続すること(吉田利男医師は、原告の肩甲部及びその周囲の筋肉の症状は、顕著な所見と考えることができ、少くとも頸椎起因説だけでは説明できないとし、原告の症状を狭義の頸肩腕症候群と呼んで差し支えないと供述している。)、

以上の事実が認められ、右認定に反する証人津山直一の、タイピスト作業に起因する症状は、まず手に、次に背中の筋肉に現われる旨の供述は、同証人によると、和文タイピストについての十分な症例にもとづく臨床所見とは窺われないので、この点の認定を左右するものではなく、他に右認定に反する証拠はない。

しかして、以上によると、医学上、原告の症状は和文タイプ作業者の頸肩腕症候群としての性格も備えていることを否定しえず、従つて、そのすべてを前示のように頸椎変形症に起因するとするのは相当でないところ、前記二、三認定事実によると、原告は約一四年八か月間にわたつて被告の和文タイプ業務に従事し、そのうち一二年半はニュース原稿のタイプライティングを行つていたのであり、中には重いタイプを使用した期間もあつたのであるから、被告の和文タイプ作業が、前示頸椎変形症と並ぶ発病の一因として作用したことを否定することはできない。ただ、前判示に照らし、症状の発生に寄与した割合においては、頸椎変形症に比し遙かに少ないものということを妨げず、当裁判所は、前判示の一切の事情、ことに作業従事期間・作業内容・肉体的条件(年令・素因等)、職務外の生活方法・発病と治療経過等を考慮し、原告の疾病に対する被告のタイプ作業の寄与率は二割が相当と判断する。

(四)  なお、原告は、その主張においても、前顕甲第四号証(「私の訴え」と題する書面)、同第一四号証(陳述書)においても、更に原告本人尋問においても、戦時中ないし終戦後間がない頃の労働条件が劣悪であつたことを強調し、これが原告の疾病の大きな原因でありかつ被告の責任によるものとする。しかしながら、戦中戦後の生活万般に及ぶ苛酷な諸条件は、まことに深刻であり悲惨なものではあつたが、一人原告のみに課されたものでもなければ、使用者である被告の責任によるものでもなく、国民全部にふりかかつた未曾有の特殊事態に由来するものであること多言を要しないところである。従つて、原告がその時期に被告の職場において難渋の労苦を味わされたとしても、その程度が当時の社会情勢からみてもなおかつ使用者の責に帰しうる程極端に劣悪な労働条件と評価しうる特段の事情がない限り、このことをもつて現時における本件損害賠償請求の責任原因事実として斟酌することはできないものというべきである。ところで、右のような特段の事情についてはなんらの主張立証もないので、原告が前記のとおり戦中戦後の労働条件について強調するところは、原告が被告のタイプ業務に従事した年数の点において考慮しうるにとどまるものとせざるを得ない。しかも、原告は、先に認定したとおり、戦後数年を経たにすぎない昭和二六年四月以降タイプ業務から転じた後の昭和三一年九月までは被告方に勤務しながら昼間部の大学生活をも送つていたことから推すと、右期間中は被告の職場において相当の時間的ゆとりを持ちえたものと考えられる。かりに、昼間部授業のため、夜勤を希望するなど、職場におけるタイプの仕事が原告にとつて困難の伴うものになつていたとしても、それは、自ら選んだ職務外の生活の影響によるものとされても致し方ないところであり、少くとも被告に責を帰すべき疾病の原因と認めることは著しく困難というべきである。

これらの観点からしても、先に判断した原告の疾病に対する被告のタイプ作業の寄与率は低きに失するものではないことが明らかである。

よつて、原告の本件症状の業務起因性は、右の限度で肯認することができる。

五被告の責任(請求原因5の事実)

使用者は、労働基準法四二条・四三条・五一条・五二条、労働安全衛生規則四七条四号等の趣旨に基づき、その被傭者の健康安全に適切な措置を講じ、職業性及び災害性の疾病の発生ないしその増悪を防止すべき注意義務を負つているところ、労働基準法・労働者災害補償保険法等の法意にかんがみ、労働者の疾病につき業務起因性が肯定される以上は、特段の事情がない限り、使用者側に右注意義務の不遵守があつたと一応推定されて差支えなく、右の推定を争う使用者の方で特段の事情を証明する責任を負うものと解すべきであるが、成立に争いのない乙第一六号証及び弁論の全趣旨によると、被告は毎年一、二回の胸部疾患を中心とする定期健康診断を実施して来たほか、診療所を設け、その職員の健康管理にも注意をはらつてきた事実が認められるけれども、右の事実だけでは被告が、タイピスト等事務機械労働者に対して適切な職業病予防対策を講じて来たことの証拠とはならないし、他にこの点について適切な措置を講じたと認めるに足る証拠はなく、結局右特段の事情が立証されたとはいえない。そうすると、被告は原告に対する健康保持・職業性疾病予防の注意義務を怠つたと断じうるから、被告は、原告が前記疾病によつて受けた損害を賠償すべき責任があるというべきである。

なお、原告は昭和二二年以来痛みを理由として配置転換の申出をしたにもかかわらず、被告がこれを無視したため症状が増悪した旨主張するが、先にみたとおりこれを認めるに足りる証拠はないから、右主張事実をもつて被告の責任加重要素とすることはできない。

六原告の損害(請求原因6の事実)

原告は、前記頸肩腕症候群が被告の業務に起因しているにもかかわらず、被告から冷遇されたと主張するところ、<証拠>には、被告は、(1)原告に適した仕事を与えない、(2)椅子や机の配列等作業条件について特別の配慮をしない、(3)発病以来一三年間病弱者として原告の昇級を不当におさえ差別した等、原告を職業病患者として正当に取り扱つていない旨縷々記載されている。

しかしながら、弁論の全趣旨によると、被告側では、種々努力してみても、(1)は原告の作業能力や勤務時間等に制約があるため、(2)は原告の要求する諸条件を同時に満すことは不可能であるため、その実現はいずれも困難あると認められるし、(3)の昇級が遅れたことも職業病に対する理解欠如に原因しているとは考えられないので、右の原告の非難はあたらないというべきである。

のみならず、<証拠>によると、被告は昭和三八年八月原告が復職して以来、原告の自覚症状の訴えを容れて、勤務の軽減を図り、勤務カードに押印をするという作業を与え、同三九年二月からは週二回の早退を許し、同四一年八月以降は原告の症状に対する配慮から半日勤務(全日有給扱い)を認め、同四四年八月には一方では頸椎骨軟骨症の疑いがあるにもかかわらず、業務起因性を否定できないとの診断書や職員の健康管理の立場等を考慮して、原告を業務上災害として取り扱うこととし、同四〇年一一月一日に遡及して療養補償(医療費・通院交通費)・休業補償・傷病見舞金(期間三年)合計五七万五五〇三円の支給をし(右業務上災害の取扱をしたことは当事者間に争いがない。)、その後も補償規程に準じて治療費・通院交通費を支給していること(ただし温熱療法等の治療費・交通費、健康器具費、お手伝の費用等は支給なし)が認められ(右認定に反する証拠はない。)、右の事実によると、被告は原告の職業病を理解せず、冷遇して来たと認めることは困難である。

そうすると、本件慰藉料請求については、発病以来現在を経て今後も継続すると予想される頸肩腕症候群による肉体的・精神的苦痛を考慮すれば足りると考えられるところ、以上認定の諸事実、とりわけ右症状の発生に対する被告の業務の前示寄与率、入通院期間、治癒の可能性、治療態度、被告の業務上災害としての取扱等を斟酌すると、本件慰藉料としては、一〇〇万円が相当である。

七結論

そうすると、被告は原告に対し一〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四四年一〇月二三日から右完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるというべきである。

よつて原告の本訴請求は、右の限度で理由があるから認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条を適用し、なお仮執行宣言は相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(倉田卓次 奥平守男 中川隆司)

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